みず道探訪

~水と緑のつながりを求めて~

第4回 熊川分水と湧水(湧水編)―福生市大字熊川

写真と文は加藤嘉六さん

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         ※※※ 熊川湧水編 ※※※

 縞屋の滝(第7小学校裏)、地点4(参照 第3回 湧水 図―1)。2014.11撮影


下の川緑地 せせらぎ遊歩道公園(福祉センター前)、地点7(参照 第3回 湧水 図―1)。2014.11

地点7の下流、段丘の途中から染み出る湧水が、露出する地元で言うナメ層(粘土層)の表面を濡らしています。2014.11


下の川緑地 せせらぎ遊歩道公園はベンチなども備えてあり、快適な散歩道に整備されています。2014.11

 段丘上からかつての田園地帯、その名も南田園の街並みを俯瞰しています。奥はあきる野市や青梅市の山々。坂下、手前は下の川緑地 せせらぎ遊歩道です。2014.11


福生に存在した分水と田用水の流路図(福生市郷土資料室年報17より抜粋)。

斜めに水門に向かって流れているのが川崎村田用水(多摩川の水で、上流川崎村から引いた)。窪田成司氏作の絵図原画、掲載は作者のご了承を得ています。


川崎村田用水門から先で左から来た田村分水と合流、又その先で左、車堀、右、熊川掘と別れていたのが分かります。「福生永田絵図」窪田成司著より、掲載は作者のご了承を得ています。


窪田成司氏。無理を言って、近くの改装を手掛けている蔵の前に立っていただきました。2014.11

左官の棟梁、窪田成司氏を知るきっかけは井上家の蔵(第3回に掲載)に興味を持ったからです。調べていく中で、江戸時代から続く左官の名工の家系であることが分かりました。しかも福生の昔の絵図を描いて、近頃本にしたことも分かりました。ご覧いただいたものはほんの一部ですが、福生市の過去を知る上で貴重と思い、掲載をお願いしました。氏はまた「琴古流」尺八師範でもあるそうです。今度は吹奏するその姿をカメラに納めたいと思っています。


江戸時代から続く左官の棟梁、窪田家の家系図。田村酒造の蔵すべてを2代目山吉、3代目綱吉、4代目幸七が建造、石川酒造の蔵は幸七が建造したそうです。

歴代が使った鏝。柄にそれぞれの銘を打ち込んだ焼印があり、よく使い込まれていて鋼が薄くなっています。2014.11