みず道探訪  ~水と緑のつながりを求めて~

第7回 神田川(中流編)中野新橋から江戸川橋

写真と文は加藤嘉六さん 無断転載を禁じます

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花街の風情を今に伝える、赤い欄干の中野新橋 2016.6

淀橋(青梅街道)近くの右岸に二つの大きな穴(合流口)があります。一つは神田川笹塚支流(和泉川とも呼ばれる)です。現在の和泉給水所辺りを源流とし、南西から北東に続く浅い谷筋の細流を集めて流れ、神田川に合流していました(その尾根筋の玉川上水を挟み、反対側は渋谷川水系の源流です) 2016.6


もう一つの穴(合流口)は神田上水助水堀(1667年)跡です。玉川上水の正春寺橋(代々木3丁目、甲州街道沿い)の下流側から、淀橋の上流側まで、水不足の神田川へ水路が引かれました。左に見える橋が淀橋(青梅街道) 2016.6

通称、高田馬場渓谷と言われる曲がりくねるⅤ字形の流れ。ボトルネックとなり度々洪水を引き起こしてきた。手前がJR山手線、奥に西武新宿線の鉄橋が架かっています 2015.4


高田橋(新目白通り)、神田川(左)は一番右の妙正寺川と合流します。中央は高田馬場分水路吐口(大雨の時、洪水が起こらないよう、上流(新堀橋)に吞口がある)2015.4

新宿区の生き物調査に同行。高戸橋下流の魚道があるところに向かった。近年鮎の生息が確認されている場所です。鮎が生息する条件としてエサとなるコケのような藻が生えていること。川底に砂や小石があること。従って上流の三面張りのような場所には鮎は生息出来ないそうです 2016.6.3


鮎がたくさん遡上していることは、潜水によって確認されているそうですが、この日のめぼしい収穫は清流にすむオイカワだけでした2016.6.3

投網を打って鮎を捕獲!結構難しそう 2016.6.11


神田川ファンクラブ(新宿区民に神田川をよく知って貰う取り組み)の生き物調査に同行。この日は体調70mmほどのが2匹捕獲されました。他にはウキゴリ50匹(ハゼの仲間)、どじょうエビ水生昆虫などでした。2016.6.11

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 鮎は一年でその一生を終えるそうです。

秋に卵からかえった子どもは、海に下り、次の春まで稚魚時代を河口ですごす。35月ごろ(関東地方)川の上流をめざし、遡上する。

きれいな川の中流で、岩盤や小石があるところに好んですみ、石の表面に付着した藻を食べ成長する。

秋なると川を下り(落ち鮎)、下流域の小石底の穏やかな瀬に産卵する。産卵した鮎はそのまま死んでしまう。そして、23週間後には新しい命が誕生する。

神田川で最初に鮎を捕獲したのは、平成4922日、全長22センチ、体重111グラム、メスだそうです。東京湾から隅田川を遡上し、神田川の河口、柳橋からここに至ったものと思われます。

 新宿区では、水がきれいになった多摩川や荒川の鮎が紛れ込んできているのではないかと推測しています。

水面からの風景(曙橋下)。長年の希望だった神田川の川底にようやく降り立つことが出来ました2016.6.3

桜吹雪に覆われた上総層(100万年以上前の最も古い地層)と呼ばれる元海底だったころの地盤(仲之橋~豊橋)。貝などの化石がたくさん見つかるそうです  2015.4


満開の桜並木、左に「芭蕉庵」、前方にフォーシーズンズ(椿山荘)がある。また、この辺りには新江戸川公園(旧細川庭園)、永青文庫(細川家の歴史資料などの展示)がある 2015.4

大滝橋付近、神田上水の取水口「大洗堰」があった所。水戸上屋敷(現後楽園一帯)に給水、そこから地下を樋で神田、日本橋方面に給水した。洗堰とは水位を上げる堰のことだそうですが、昔の神田川は現在よりずっと浅かったそうです  2015.4


江戸川橋(音羽通り)、橋の下の大きな入口は「江戸川橋分水路呑口」。大雨で増水した水はここから地下水路に入り、目白通り下を通って飯田橋の出口へ導水

2015.4