みず道探訪

~水と緑のつながりを求めて~

第4回 熊川分水と湧水―福生市大字熊川

写真と文は加藤嘉六さん

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福生市と言えば米軍横田基地を思い浮かべる方が多いと思いますが、今回はもう一つの福生市の街の礎となった大字熊川です。やはり以前この地を訪ねた時に感じたのですが、石川酒造(創業文久3年、1863年)の周りには、いくつかの神社仏閣(熊川神社、福生院など)が点在し、古い集落跡と思われ気になっていました。

ここでの玉川上水と多摩川の関係は、玉川上水は進路を東に取り、多摩川は南に向かって流れています。このハの字型に拡がり始める部分から、今回の熊川分水も南へ流れています。また、この地は明治、大正時代は養蚕が盛んで、森田製糸工場(明治6年創業、昭和3年金融恐慌のあおりで閉鎖、昭和4年から片倉製糸へ)がありました。酒造と並んで、福生の近代化に関わりが深い、歴史ある場所でした。


         ※※※ 熊川分水編 ※※※

熊川分水は明治23年(1890年)に開設されました。寛政3年(1791年)に分水工事願いを提出し、その約100年後のことだそうです。工事は石川家を中心とする熊川村の人々によって行われ、現在も熊川地域の中心を全長約2キロにわたり流れています。

青梅橋上流にある熊川分水取水口(緑の筒状の開閉台と下部のゲート)。2014.11.9撮影

料亭幸楽園の庭園。分水の水(ポンプアップ)が滝となって流れ落ちています。2014.11.9


 空地をさらさらと流れる熊川分水、クレソンがところどころに生え、メダカやハヤの姿も見えます。2014.11.18

 片倉製糸跡地のウォールペイント。この裏は広大な敷地の中央を熊川分水が流れていますが、現在は雑草に覆われています。2014.11.18


  福生院(改築中)室町時代創建。熊川に知行地があった長塩氏の墓(市指定史跡)があります。2014.11.9

屋敷の中を流れる熊川分水。この庭では沢蟹が這い、毎年ホタルが飛ぶそうです。かっての熊川分水は、概ね2筋に分かれ家々を巡りました。湧水編 図-1参照 2014.11.18


熊川通り。製糸工場が盛んな頃は女工さんが歩く華やかな通りだったそうです。昭和初期には奥多摩街道とも青梅街道とも呼ばれ、沿道には多くの商店が店を構え、「熊川銀座」と言われるほど活況を呈していたようです。右側には「地頭井戸」と呼ばれた村の共同井戸がありました。2014.11.18

 熊川神社。熊川村の鎮守、本殿は慶長2年(1597)の棟札があり、当時の造営と考えられています。市内最古の木造建築物で、都指定有形文化財、福生市登録有形文化財指定。2014.11.9


石川酒造、文久3年(1863)創業。春もたけなわの頃、「桜祭り」が開かれていました。2005撮影

石川酒造。明治時代建造の本蔵、新蔵、雑蔵、向蔵はいずれも「国登録有形文化財」。写真はこれらの蔵に囲まれた中庭、中央を熊川分水が流れています。2005撮影


山門から見た千手院、室町時代頃に創建されたと推定されています。市の有形文化財。2014.11.18

昔、上棟式で飾った破魔矢を看板にする建築業の作業場。2005年撮影


熊川分水は段丘上から勢いよく流れ落ちています。中央黒い半円は「どうどう橋」と呼ばれる歩道に架かる橋、水は緑色のフェンス下の「下の川」に流れ落ちるのと、河川敷(南福生公園)に設けられた人工の池に導かれるものとがあります。2014.11.18